On sent le Noël qui se rapproche. 近づくクリスマス

 

 

先日の雪でシャモニーと言えばこの人、Balmat バルマもその横の Saussure ソシュールと一緒にしっかりと雪を被っていました。

 

   Place Balma バルマ広場にある二人の像 ( 1886年健立 )。

 モン・ブランの頂きを指しているのがバルマ。

 

そしてバルマと一緒にモン・ブラン登頂に成功した Paccard パカールも一人寂しく、ひっそりと雪に埋もれていました(下写真)。

 

 

モン・ブラン初登頂にかけたこの3人の話、とあるサイトで良く説明されていたので以下に抽出させて頂きます。

モンブラン初登頂


1760年、スイスの博物学者ソシャールが氷河を観測するためにシャモニーを訪れ、モンブランとシャモニー渓谷を挟んで位置するブレバンに登頂した。

彼は他の山々をすべて見渡せるモンブランの自然科学的な意義に気づき、この山への登山ルートを見つけた者に莫大な賞金を出すことを約束した。当時の技術や道具では、ルートの選択は決定的に重要なことだったことによる。

多くの挑戦が試みられたがすべて重大な障害に阻まれた。それは、

「人間は高い山の上で夜を過ごすことはできない」という誤信と、「呪われた山、モンブランに登れば生きては帰れない」という迷信だった。
そして誰も成功することはなく、26年間もの歳月が流れた。


1786年、ある登山隊がモンブランの山塊のボス ( 4513m ) の山陵に到達した。

この時、悪天候により引き返さざるを得なかったが、水晶細工人 ( 水晶採掘者、猟師 ) のジャック・バルマは雪の中にうずくまって嵐の去るのを待ち、 氷河の上で夜を過ごした。

翌朝、彼は付近の雪原を視察した後無事にシャモニーの町に戻った。彼の生還は絶望と思われていたので、この露営は山男たちの迷信を取り除くことになり、一気に登頂の機運が高まった。


シャモニー生まれの医師、ミッシェル・パカーはバルマとは知己の仲であった。

バルマが賞金とモンブラン初登頂の野心を抱いていたのに対し、彼はソシュールが自然科学に没頭する科学者であるように、気圧計をモンブラン山頂に持って行って観測してみたいと思っている、山に魅せられた男だった。

1783年に彼はスイスの旅行家であり作家であるマルク・ブーリーと登頂を試みたが失敗していた。その後数回の試登を繰り返していたが、モンブラン山中から生還したバルマと登頂計画を練り、1786年8月7日に登攀を開始した。

ボソン氷河上部のコートの山頂に露営し、翌8日朝4時には氷河地帯に突入した。そして18時23分に2人一緒に頂上に達した。

この様子はシャモニーから望遠鏡で見守られていた。

しかし野営地への夜間の帰路は大変難航だった。往路で帽子を失っていたパカーはほとんど雪盲の失明状態にあり、翌日、バルマは彼の手を引いて町にたどり着いた。(当時のフランスは革命直前にあり、日本では江戸時代の後半、平賀源内が活躍していた頃になる)


登頂ルートを得たソシャールは翌年、召使1人とバルマを含めたガイド18人ものキャラバンを編成し ( 荷物には折り畳みベットからスリッパまであった ) 登頂し、観測を行った。

以降、ヨーロッパ最高峰のモンブランは多くの人に登頂されることになり、同時に山に登ること自体を目的とした登山がスポーツとして認められるようになった。そしてモンブランの麓の町シャモニーはその登山基地として、やがてはモンブランと氷河の観光の町として発展することになる。



銅像の謎


シャモニーの町の中心部には2人がモンブランを見つめている銅像と、少し離れた場所に1人だけで座っている銅像がある。

これを見れば、「2人の銅像は初登頂を果たしたパカーとバルマで、1人の銅像はスポンサーのソシュール」と思うのが自然ではないだろうか。
実は2人の像はバルマとスポンサーのソシュールで、1人の像はパカーなのだ。
なぜ、初登頂を果たした2人が別の像になっているのか。この変な話にはワケがあった。

初登頂がなされると、シャモニーの町は大騒ぎになり、偉業として讃えられた。

一方で面白くないのは初登頂に敗れた登頂失敗組で、パカーと一緒に登ったことのある旅行家のマルク・ブーリーは町中にデマを流した。

「パカーは人事不省となりながらもバルマが山頂に達したのち、バルマによって山頂に引きずりあげられた。初登頂はバルマであるべきところをパカーは自分の功績のようなことを書いた著書を出版しようとしている」という小冊子を出版した。

特にバルマも否定しなかったため、パカーの功績は否定され、初登頂の翌年に作られた銅像は、バルマとソシュールだけになった。

しかし、シャモニーの町からバルマとパカーの2人の行動の一部始終を見ていたドイツ人のゲンスドルフの日記が発見されたことなどから名誉回復を果たし、登頂200年祭の1986年にパカーの銅像が建てられることになった。


2人の像と比べてずっときれいではあるが、調子こいてモンブランを指しているバルマを睨み付けているようにも見える。

なるほど。

色々と知ってからだと、また物の見方が変わりますね。

天気が良かったので、後日またシャモニー市内を散歩してきました。

雪の白さは青い空に良く映えますね。

 

そしてメインストリートにあり、一際目を惹くのがこちら Restaurant La Calèche レストラン ラ・カレッシュ

 

町の中心にある上、こんな風に素敵なデコレーションが施されているので、すぐに見つけられるかと。

 

個人的に「シャモニーで一番のデコレーション賞」をあげたいと思います。

 

今回はクリスマスバージョンですが、いつでも素敵に飾られています。オーナーの趣味が良いのですよね。

実はここは私が10年ほど前に勤めていたレストラン。

丁度このトナカイ(下左写真)が飾られている上の部屋辺りに住んでいたこともありましたっけ。


外装以上に内装もオーナー自らが手掛け、このサヴォワ地方の山小屋をイメージした素晴らしいものになっています。

スキーやリュージュ、その他もろもろの年代物が飾られているので一見の価値がありますよ。

2階にはこのお店の名前の元となっている「La calèche 駅馬車」も飾られ、地下は見事な cave 酒蔵風 に作られているので遠慮せずにぜひ奥まで入ってみて下さい。


従業員もサヴォワ風の服で出迎えてくれます( 私が勤めていた当時はサヴォワの民族衣装でした )。

ラクレット、チーズ・ホンデュ、タルティ・フレットといった郷土料理から伝統的なフランス料理まで色々取り揃えていて、前菜・メイン・デザートのコースメニューも26.5€からとそう高くない金額でしっかりとした味を堪能することが出来ます。

私が勤めていたからという訳ではありませんが、デコレーション、サービス、料理の質を考えても推薦出来るお店です。

但し大変人気のあるお店なので、一応300席以上はありますが、シーズン中は確実に席を取るためには予約をされていった方が良いかと思います。


http://www.restaurant-caleche.com/

 

町中が日に日にクリスマス色染まってきている今日この頃。

近年ではこんな物も設けられるようになったようですね。

 

シャモニーのクリスマス市。

 

以前住んでいた当時は、とあるホテルの一角に設けられていたのみで寂しい物だったのですが、さすがに多くの観光客を集める「インターナショナルな町シャモニー」、それでは駄目だと思ったのでしょう。

昨年からなのでしょうか、通常はマルシェが開かれる町の中心地 モンブラン広場に大掛かりな ( 30店舗以上 )クリスマス市がこの16日から設けられるようです。

開催期間は以下の通り。

 

 12月16日~18日 16時~19時

 12月19日~30日 10時~20時

 

ぜひ一度見に行ってみようと思っています。