1月7日はユリウス暦(西洋諸国はグレゴリオ暦)という古い暦を使うロシア正教でのクリスマスにあたりました。
ソ連時代にはロシア正教は弾圧されていて、ロシア正教の式典も禁止されていたようなのでクリスマスと言っても西洋諸国ほどの特別な感覚はないみたいなのですが。
そしてこの1月14日は旧暦でのロシアの新年にあたります。
以下は文献から抽出したのですが、どうやらロシアではクリスマスより新年の方に宗教的にも重きがおかれているようです。
新春=新年
古代スラヴ人は12月25日から1月6日まで冬至「コリャダー」を祝っていました。
コリャダーは12日間祝われ、12人の祭司が儀式をとりしきり、12束の穂束で豊作を占い、12基の井戸から占い用の水をくんでいました。このお祝いに重要な数は12。
ウラジーミル1世が988年にキエフ大公国の国教をキリスト教に定めた後、新年はユリウス暦で祝われていました。
ただしその日は3月1日。雪が溶け春が来るのだから、それを新年ととらえるのも理屈にかなっています。
多くの異教議式は、自然にキリスト教の儀式へと変わっていきましたが、一部は現在でも残っています。
その後正教会は新年を3月から9月に変えました。
現代のロシアの新年を祝い始めたのは1699年、ピョートル1世がヨーロッパに合わせよと命じた時。
ピョートル1世の命令には、「マツ、エゾマツ、ネズの幹や枝を装飾する」ことも含まれていました。
また、貴族や商人の邸宅の庭では、小銃や火縄銃の祝砲を鳴らし、その他の比較的貧しい家では、尾や藁(わら)を投げ、樹脂樽を置き、祝いのたき火を起すよう命じていました。
しかしピョートル1世がヨーロッパ式の新年の祝い方を採用している間に、ヨーロッパはユリウス暦からグレゴリオ暦に 移ってしまいます。
ロシアは2週間ほど遅れをとった状態を続け(1世紀に約1日ずれていく)、1919年にようやくグレゴリオ暦に移行しました。
ロシアには現在、新暦とその13日後の旧暦の、2回の新年が存在しますが、旧暦の新年は廃れつつあるようです。
それでも旧暦の新年があるおかげで、祝日が2週間かそれ以上続きます。
12月25日のクリスマスから始めて、1月1日の新年、1月7日の正教のクリスマス、1月14日の旧暦の新年。
この期間ずっと、祝い料理の「オリヴィエ」サラダと「ソ連のシャンペン(発砲ワイン)」が盛り上げるようです。
年明け後のこの2週間ほどロシア人をそこかしこで見かけるのは、そんな訳なのですね。
以前と比べるとその数は大分少なくなっているようですが。
それでもクリスマス休暇が明け、フランス人ヴァカンス・観光客をめっきりみかけなくなってしまい、年末の大忙しさと打って変わり全く静けさを取り戻してしまったシャモニーの商店主にとっては有り難いお客様であることに変わりはありません。
以下は私が2008年に書いたブログの中でのロシア人談。
『 昨年まではお金持ちのロシア人ばかりで、悪く言うと態度が横柄。フランス語も話せる人は少なく、英語もロシア語なまりなのでわかりづらい。ただし気分次第で高額なチップを置いていく。そんな人たちだったのだけれども
今年は所謂「中流階級」の人たちが目立つ。彼らはとっても親切。フランス語を話せる人も多くきちんと顔を見てにっこりとbonjour,merciを言ってくれる。「お金持ち」の人たちと比べると金額は少ないけれどチップも置いて行ってくれるし、なんといっても気分が良い。
フランス語や英語を流暢に話し、愛想が良い人達が多いのは2008年当時と変わっていませんでした。
ところで、左はフランスに旅行しにくるロシア人の特徴を表したもの。
フランスはロシア人にとっても旅行先の国としてとても魅力があるようです。
ヴァカンス先としてはやはり パリを中心とした Ile de France イル・ド・フランスが一番人気の様ですが、Côte d'Azur コート・ダジュール、 そして Rhône-Alpes ローヌ・アルプがそれに次いでいます。
彼らがやって来るのは主に6月~8月で、次いで9月や1月、3月。
平均的にホテルやアパートで1週間過ごすことが多いようですが、その目的は自己の楽しみの為、次いでビジネス目的以外に近親者に会いに来るという人も多いようです。
コート・ダジュールなど地中海沿岸地方での滞在や芸術・文化の探求、高級ブティックでのショッピング、スキーやゴルフなどスポーツ系の滞在、ワインや美食の探求など様々に楽しんでいるとの事。
そして大概のロシア人はフランスでの滞在に満足し、そのうちの73%は再び戻ってきたいと思っているようです。
という訳で、今後もロシア人とのお付き合いは続きそうです。
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