Le Coupe du Monde de Ski Kandahar ワールド・カップスキー シャモニー

 

4年ぶりに Coupe du Monde de Ski Kandahar ワールド・カップアルペンスキー・カンダハー大会がシャモニーの地に戻ってきました(この地で行われるのは19回目)。

 

競技が実際に行われたのはシャモニーから8km、車で10分ほどの Les Houches レ・ズッシュという隣町。

 

2日に渡り、1日目は滑降、2日目は滑降とスラローム(回転)の合計タイムで競うスーパーコンビネ、というプログラムで行われました。

 

 * 滑降とスラロームを2日に分けて行うのをコンビネ(複合)、同日中(基本的には午前に滑降、午後にスラローム)に終了させるのをスーパーコンビネと呼ぶのだそう。

 

町中には各国名入りのジャケットを羽織った、選手自身であったり、チーム関係者、さらにはファンであろう人達の姿をあちらこちらで見かけることができました。

競技前日、前々日にあてられた公式練習日には大会当日以上に間近に選手達の滑りを見ることが出来るので、Les Houches のスキー場はスキー以外のスペクタクルを含め、かなり盛り上がっていたようです。

この大会に使用されるのが「La verteラ・ヴェール」と呼ばれる左のコース。

 

La Piste " La verte des Houches " n'a de " Verte " que le nom

 

「 レ・ズッシュのラ・ヴェールはその名前だけ 」

 

フランスのスキーコースは緑(初級者用)、青(初中級者用)、赤(中上級者用)、黒(上級者用)といった様にその難度を色によって表示しているのですが、もちろんLes Houches の「Verte(緑)」というコース、その名前とは異なり上級者用の「黒」コースですので、、、あしからず。

 

緑に囲まれたコースで、太陽の加減で凍り付いたコースがしばしば緑色を帯びることからその名前が付けられたようです。

 

スタート地点の標高1,871mから標高1,001mのゴール地点まで標高差870m、距離にして3,343mをトップ選手になると2分ほどで滑り降りてくるこのコース。

FIS(国際スキー連盟)からワールド・カップ使用に認められたコースはフランス国内には Val-d'Isère バル・ディゼール とここ Les houches レ・ズッシュ  にしかないそうです。

 

このラ・ヴェール。

やはり最大の見どころはスタートしてすぐの Cassure キャッシュール というジャンプ地点。

左にカーブしながらの着氷後、また直ぐに急な右カーブに備えなければいけないのが難しいのだとか。

 

最もスピードの出る場所ではトップ選手は 120~130km/h 程を出してくるようです。

 

左図、緑の部分は一般者の観戦場所。

 

仕事がお休みの金曜日にスーパーコンビネは滑降の観戦へ。

ぜひともかの有名な Cassure 地点で、50~60mは軽く跳んでくるという選手たちの大ジャンプを間近に見てみたかったのですが、会場に到着したのは競技開始の15分前。

という訳で今回はゴール地点で観戦する事にしました。

 

何と言っても今大会の人気者はシャモニー出身の Guillermo Fayed ギヨモ・ファイエ 。

このカンダハー大会への出場はこれで3度目。

 

ワールド・カップでの優勝経験は無いものの、昨年度は滑降部門で見事に総合3位の座を射止め、今期も現在の所総合5位につけている彼。

 

その彼の公式練習の際の滑りが以下のビデオ。

自分が滑っているわけではないのですけれども緊張してしまいますね。

 ところで「 KANDAHAR 」という名称。

 

アルペンスキーの生みの親といわれるイギリスのアーノルド・ラン公爵と他の8人の英国人スキーヤーによって1924年に創設された世界初のスキークラブ「カンダハークラブ」が1928年にオーストリアのサン・アントンにおいて地元のアールベルグスキークラブとアルペンスキーの対抗戦「ロバート・オブ・カンダハー スキー大会( The Roberts of Kandahar Cup )」を開催したのが始まり。

クラブ名、そして対抗戦名はそれにさきがけ1911年、カンダハーのロバート卿 Lord Roberts of Kandahar のもとに行われたチャレンジ・カップ(スイス・シオン)からとったようですが。

 

 

そのレースは現在の形式のアルペンレースとしては世界初の本格的大会で、オーストリア・キッツビエールのハーネンカムレース(1931年~)、スイス・ウエンゲンのラバホーンレース(1930年~)と並び称される世界の3大クラシックレースとしてこの「アールベルク・カンダハー大会(AK)」(1928年~)はその後はオーストリアのサン・アントンとドイツの Garmisch Partenkirchen ガルミッシュ・パルテンキルヘン、そしてフランスのシャモニー(1948年から)が3年ごとのローテーションで持ち回る(3年毎に開催地を変更)ようになっています。

 

近年のシャモニーでの優勝者にはノルウェーのAndre Aumotアンドレ・オーモット(1994)、オーストリアのGunther Maderギュンター・マーダ-(1997)、またアメリカのBode Millerボード・ミラー(2003)、、、といった名だたる競技者が。

 

 

ちなみに1966年にアルペンのW杯が始まった時に、この3大会(3大クラシックレース)はFISのW杯の中心的定番レースとして指定されています。

その中でもガルミッシュの滑降「カンダハーコース」は1954年以降、コースはほとんど変わってはおらず、全長3140m、標高差820m、ゴール以外はまったく日が当たらず、暗く急峻で、最も多くの怪我人を出しているダウンヒルコース。1994年にはオーストリアのウルリケ・マイアーがレース中に死亡するという事故が起きています。

 

 

* 何故ロバート卿は「kandaharカンダハー」の、、、と呼ばれていたのでしょうか。

 

第2次アフガン戦争下の1880年、カンダハー(アフガニスタン)の地での功績を称えられてイギリス女王から貴族の称号をもらい受けたロバート卿。功績を挙げたその土地の名前、カンダハーが彼のニックネームとなったそう。

さてさて、雨模様の続いていたここ最近の天候でコースコンディションが心配された今大会ですが。

スーパーコンビネ競技予定の金曜日には朝から雪がちらつき、徐々に勢いを増して行く様子。

どうなることかと思ったのですが、ボランティア総動員で必死の整備にあたったうえ、天気が回復する予定の午後に滑降を、午前中にスラロームと競技の順番を変更した事が幸いし、無事に競技を終わらすことが出来ました。

そして見事に優勝したのはフランスのサヴォワはムティエー出身の 25歳 Alexis Pintusault アレクシー・パンチュロー(クールシュヴェルスキーチーム)。

ここレ・ズッシュのカンダハー大会でのフランス人の優勝は遡る事1968年まで。

2位にはイタリアの Dominik Paris が、3位にはフランスの Thomas Mermillod Blondinが入りました。

パンチュローは10時半に始まった回転で1位に立つと、(14時開始予定の所)15時15分から始まった滑降競技でもタイム差を守り、今期3度目の表彰台の一番高い場所に立つことを決定しました。

 

2009年と2011年にスーパー大回転でジュニアの世界チャンピオンに輝いている若手の有望株。

若手とは言え、今ではすっかりフランスチームの柱となり数々の素晴らしい記録を残しているパンチュロー。

これで彼の生涯ワールド・カップでの優勝は12回目となりました。

 

3位のブロンダン(アヌシー)。この3位入賞を機に長年連れ添った恋人に結婚を申し込んだという心温まる話もありました。

 

翌日の滑降で優勝を飾ったのは前日のスーパーコンビネで2位に入ったイタリアの26歳 パリス。彼にとっては生涯5度目のワールド・カップでの優勝。

期待のファイエは惜しくも表彰台を逃して4位。

ただ上位15名のうち、フランス人が5名(上位10名中3名)を占めるという地元開催には嬉しい結果に。

 

そして一躍知名度を上げたのがこの人。

地元シャモニーの若手、Blaise Giezendanner ブレイズ・ジゼンダナー。

昨シーズン初めてワールド・カップポイントを獲得し、滑降をスペシャリストとする彼。

見事9位に入りました。

今後の成長が楽しみです。

 

関係ないですが彼のお父さん、たまに私の勤務するサロンにお茶をしに来るのですよね。

ちなみに、数字で見る2012年の前回大会。

 

テレビ視聴者 : 204,000,000人

テレビ放送時間 : 132時間

交通整備用の県警 : 100人

セキュリテーィ―関係の県警 : 70人

赤十字ボランティア : 25人

高校生ボランティア : 100人

その他ボランティア : 600人

コース設営、整備等の専門家 : 400人

メディア関係者 : 120人

観客数 : 40,000人

 

今年はどうだったのでしょうか。