レース会場以外でも町中はこの1週間ほどはやはりKandahar一色。
こちらはシャモニーの中心にあるモン・ブラン広場。
ここでは大会前の選手紹介やレース後の表彰式、そして大会閉会セレモニーが行われました。
そして2月14日から20日までの1週間に渡り、総勢10名のコメディアンやジャングラー、マジシャンやダンサーに曲芸師、ピエロや竹馬に乗った道化師といった者からなる「 Kand'art team カンダアー(カンダハーとアートをかけている)チーム 」が下は Saint Gervais サン・ジェルヴェの町 からスイスとの国境 Vallorcine ヴァロルシン村 まで、町中はもとより、スキー場やさらにはバーやレストランなどを巡り回り住人や観光客、ヴァカンス客達を大いに楽しませてくれたようです。
そして、高校生を含めたコース整備等に努めたボランティアの人達はもちろんのことながら道路整備、大会警備にあたった県警方の存在も忘れてはいけませんね。
彼らの存在なしに大会は成功することはなかったのですから。
それでも、もう少しなんとかならなかったのか?という点はありますが。
県警の責任というより、町や大会運営者のそれ、さらにはフランス人のモラルにかかっているのでしょうけれども。
というのは、大会終了時の交通機関問題。
大会専用のシャトルバスなども出し、通常のバスも増発していたようですが。
それでも Les Houches の町は交通規制が引かれていた為、住民以外は町中に自家用車で入ることは出来ず、20,000/日 名はいたであろう観客+スキー客の頼りはバスのみ(鉄道は本数も少なく、かなりの距離を歩かなければいけない)。
数分おきに到着するバスはまるで日本のラッシュ時の電車の様。
それでも日本の場合「降りる人をまず先に、そして皆列をなし順番に乗車出来るのを待っている」はずかと。
こちらは何かにむらがる虫の様。列など全く関係なしに我先に争うように乗車しようとする。降りようとする人がいるのも構わずに。
なんとも情けない、、、そんな言葉しか浮かびませんでした。
「はいはい、どうぞ。乗ってください、乗ってください。」と呆れ顔で人が引けるのを待つことに。
何本のバスを見送ったことか。結局寒空の中40分程待ち、ようやく乗車することが出来ました。
ロープをはるなどして順番を規制しスムーズに乗車できるようにできなかったのか、と。
自己主張をしないと生きていけないフランスでは当たり前の風景なのかもしれませんが、時に疲れますね。
ところで、私の勤務する職場でもチーム・シャモニーを応援する編隊ができていました。
こちら、真ん中のグローブはチョコレート製。この後、今大会の優勝者・パンティローにしっかり手渡された様です。
そういえば2008年の第60回の記念大会では私のパトロン、これだけ頑張ってショーウィンドを作っていたのですよね(下段)。
当時は住人や観光客の投票によるショーウィンドコンクールがあり、この年は我が Aux Petits Gourmands が見事に優勝を飾ったのでしたっけ。
ちなみに来年の大会はシャモニーで開催されるのかは未定だとのこと。
ぜひともまた来てもらいたいものですけれども。
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